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攝津氏のQ内外での投稿に関連する西部忠氏の見解

以下の西部氏の摂津氏に対する個人的見解は、Qサイトの管理人の宮地が以下のような判断で掲載しました。

摂津氏のメールおよび掲示板・HPにわたる西部・宮地・穂積批判を根拠としたQ批判は、Q外部の人たちにも公開されていますので、Q外部の人たちにも、今回の摂津氏の行為や摂津氏自身に対して、西部氏がどうのように考えているのかを公開することが、Q外部での公正な言論の形成につながると判断しました。
今後も当事者が書いた反論などは、同様に公開していくつもりです。

したがって、以下の文章の公開は、Q管理運営委員会の総意や合意に基づいたものではないことを、お断りしておきます。

 

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摂津氏について

西部です。

私が攝津氏についてどう思っているかについては,QハイブMLで書いた二通のメール から抜粋します。私がいいたいことはこれで尽きていますから。(特に**さんに向け て書いたものですので,その点ご了承下さい。)

※Qの外部のHPや掲示板,ML等へ無断転載しないようお願いします。

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彼は2001年8月頃,まだQが稼働し始める前に参加してくれました。かなり初期 からのメンバーの一人だといえます。当時から,彼は非常に熱心に,Qをどういう制 度にするか,規約をどうするかについてのML上の議論に参加してくれましたし,規約 づくりでも「取引」の部分の草案を作ってくれました。また,Qの稼働後も,登記審 査,規約や内規の検討,ユーザーMLでのコーディネーターやそこでの質問への回答草案づくりなどをやってくれました。さらに,Qハイブの仕事ではありませんが, Winds_q講習会の講師やTQCなどでも一番熱心に活動してくれたことを私は知っていま す。彼のその間の功績がとても大きかったこと,その点で彼に敬意を表しなければな らないことは,後から参加された逵さんよりも,私はよく分かっているつもりです。 柄谷氏から私信が来てNAMを退会するときに,気遣って電話を真っ先にくれたのも彼 でした。

摂津氏はQをとても愛していた人だと思います。ただ時に,Qで世界がいっぺんに変わるといった誇大妄想にまで発展するので,その反動も大きい。だから,妄想と現実とのギャップに直面してしばしば深刻に悩み,何度かQハイブを辞めたいと申し出てくることがありました。そのたびに,私は彼にQに過度の妄想を抱いてはダメだ,Qが掲げている目的や理念は何十年もかけてようやく部分的に実現できればよいという程度に考えなければと忠告して,しばらく休んだ方がいいと言いました。そういう誇大な妄想と幻滅の落差が彼の憤りの源泉にあると思います。

おそらく核心的な部分だといえるのは次のことです。彼は(いや,おそらくNAM会員のQハイブメンバーすべては,と言ってもいい),QのNAMからの独立が個々のメンバーに何を要求するのかを理解できなかったのだと思います。私は確かに,Qを名目上だけではなく,実質的にNAMから独立させようと試みました。また,専従制に移行してQハイブのスリム化を図り,NPOへと発展させた方が継続性が高まると考え,そういう提案もしました。このことは否定しません。しかし,NAM会員を強制的に辞めさせるとか,改革を妨害するといったことはまったくしていません。だから,「NAM(会員)を切り捨てた」というのは,言いがかりです。私も「Qの独立」を途中からは半ばあきらめて,代表を辞任する昨年10月には,自由にやってみればいいと思うようになりました。現在,Qだけが残っているのは,NAMの方が自壊してしまったからにすぎません。

lets_thinkもオフ会での柄谷氏へ怒りをぶつけたり,NAM批判をしたり,あるいは,お互いに勇気づけたりしたけれども,謀議のようなことがなかったのは,**さんも認めているとおりです。あのような怒りが発露するのはまったく自然なことで,それも個人的な意見として述べていただけですから,問題はなかったと思います。むしろ責任があるとすれば,それを漏洩して,意図的に利用しようとした人の側にあるはずです。

実際に起こったことは,私が9月に,「Qとの再契約を」と提案したときに,摂津氏も含め多くのNAM会員が,NAMかQかの選択を迫られたと感じて,強く反発したということでしょう。私が「再契約」ということで言いたかったのは,ただ「QはNAMのためにやっている」という気持ちを捨ててほしい,「QはQのために,NAMはNAMのためにやっている」,あるいは,「QもNAMもただ自分のためにやっている」という気持ちへと移行してほしいということでした。だから「QかNAMかのどちらかを選択せよ」というものではありません。Qの実質的な独立にはそれで十分だったからです。

「QはNAMのために(のみ)やっている」と考えている人は,NAMが「目的」で,Qはそのための「手段」と考えているわけですから,そこから,「QはNAMが作った,だからNAMのQだ」と一挙に行ってしまいます。これでは,各個人において,QがNAMへ従属してしまいます。これは「他者を手段としてのみならず,目的としても扱え」という,NAMの倫理にも反するはずです。

オフ会での柄谷氏の発言や穂積氏・宮地氏への攻撃は,「QはNAMのためにやっている」というNAM会員・Qハイブメンバーの意識を結果的に高揚するものになったのだと思えます。だれもがそれまで無意識の中で曖昧にしてきのに,これを契機にして突然意識化させられ,「あれ(Q)かこれ(NAM)か」というハムレット的状況に追いつめられたと感じてしまったのではないでしょうか。「Qとの再契約」もそういう風に誤解され,その後のNAMにおける柄谷氏の言動により,この二者択一的なジレンマは強迫的なものに転化していったのではないですか。その後のQハイブの多くのNAM会員の考えはそういう方向へ流されてしまった,と私は当時強く感じました。しかし,それは,lets_thnkの「策謀」などのせいではないということは,はっきり主張すべきです。もちろん,Qハイブ・メンバーの中には,「あれかこれか」に抵抗した人もいましたが,最終的には,柄谷氏などから,QハイブにいるものはNAMから脱会させると脅され,恐れおののいてQハイブを辞めていったのです。つまり,QではなくNAMを選ばされたわけです。その後も摂津氏と**氏の二人はQハイブに残りました。彼らは,こうした脅迫に屈しない,勇敢な人たちですが,少なくとも摂津氏は QではなくNAMを選ぶと明言しました。その上で,Qを自発的に辞めたわけです。しかしそれでも彼の中に私への憎悪が残った(残っている?)ように見えます。それはなぜなのか。

柄谷氏は,「Qは終わった」で,「西部はNAMはQのためにやっていた,NAM会員をQのために利用した」と言い放ちました。これはものすごく政治的な意味を持つ不当な歪曲,名誉毀損というよりも,「私」という人格の完全な否定のための扇動です。私は,ただ「NAMもQも自分のため,あるいは理念のためにやってきた」だけなのに,こう言われた時,私自身は一個の人間としての最低限の尊厳を毀損されたと感じました。

**さんや他の人は,私が「名誉毀損」をすぐ口にすると言いますが,私は根本的にはこの事実,そして,彼の発言以後もそれを安易に前提とする,さまざまな攻撃の不当さ,不愉快さについて言っているのであって,別に大学教官とか知識人としての名誉について言っているのではありません。このことを理解してほしい。別に,柄谷氏が「西部は所詮凡庸な経済学者であった」とか何とか言っても,それは彼の評価がころころ変わる信頼の置けないものだということがわかるだけで,そんなことは気にしていません。しかし,彼ほど頭の回る人間ならば,あの発言がNAMの人々に対してどういう心的効果をもたらすかを理解した上で,明らかに悪意に基づいて言っているのですから,それだけは許せなかった。これは,決して消せないシミとして私の中に今も残っています。

私は,穂積さん,宮地さんなど,ほんの数人の協力者とともに1年近い時間をかけて,まったくの無からQを立ち上げ,その運営に取り組んできました。Winds_qができるまではNAMの人々は決して協力的ではありませんでした。できるかどうか高見の見物という人も少なくなかったと思います。その頃は,毎日仕事をさぼりつつ時間を作り,僕と穂積さんでメールをやり取りしながら,シコシコやっていました。彼もものすごく苦労してWindsを作ってくれたのです。私も私なりに睡眠時間が減ったりして大変でした。このあたりのことは,後から参加してきたQハイブのメンバーにはまったく見えていないと思います。別に私たちが最も苦労したと言いたいわけではありません。半分は楽しかったのだから,本当は「苦労」というのも違うのです。ただ,Winds_qができる頃になると,NAMの多くのメンバーがどっとQハイブに参加したり,システムの完成後になって,実名登録の方法などでいろいろと文句やケチが付き始めた,こういうのがいやなのです。これらも,プロジェクト内で事前に話し合い,われわれなりの考えに基づいて導入したものですから,いま言うなら,なぜプロジェクトに参加してこなかったのか,参加していたのにその時言わなかったのか,という怒りの気持ちは起こります。それに,「QはNAMから独立」ということも,すでに話し合って決定されていたわけですから,なぜNAMの都合に合わせて,システムを修正しなければならないのかという意見が出ても当然でしょう。NAMのメンバーであるとはいえ,われわれはすでに自立してやっていました。「NAMのため」も確かにありましたが,それがすべてではないというのははっきりしていました。だからといって,これは直ちに「反NAM」ということでもない。それなのに,後から「QはNAMのものだ」と既得権益のように言われれば,また,NAM原理を批判しただけで,反NAM的とか言うレッテルを張られるのも,怒りは正当に生じます。

私自身について言えば,Qの制度設計や規約づくりだけではなく,Q稼働から昨年の8月までは,代表として議長をやりQハイブとしての意見をまとめながら,登記の手順を考え,Windsのバグチェックをやり,また,登記審査や対価評価など人がやりたがらない実務をやってきたのです。実務をNAMの人に押しつけたということもありません。それなのに,「西部はQをNAMのためにやっていない」どころか,「西部はNAMをQのために利用した」と柄谷氏がレッテルを貼った途端,こぞってNAM会員が私を憎悪の対象として攻撃し始めた。

これがどれほど屈辱的なことか,**さんにはわかりますか。それでも,私はQを守る ために,NAMとの対立をこれ以上激化させないために,あの文章に対して反論を公表しなかった(これも書いてありましたが)。あの熱に浮かされたような状況では,そうすることもすでに無駄だと思ったところもありましたし,疲れてもいました。しかし,やはり根本は,**さんなどQハイブで運営をしているメンバーや,Qで自律的に活動してくれている会員のことを考えて,沈黙したのです。そして,1月の柳原氏のメール(注.think_letsを反NAMの策謀のための裏メールだとするメールのこと。QユーザMLへ投稿された。注者:宮地)はこうした柄谷氏のレッテルの上に,さらに「非人間的だ」というレッテルを貼ったのです。これにもどれほど腹が立ったか,**さんはわかりますか。私は,この時も,ユーザーMLの混乱を収拾しようして議論MLを開設した,**さんの提案の「良き意図」を台無しにしてはならないと思って,結局,反論を載せるのをあきらめました。実務を引き受けて奮闘している**さんたちの努力を最大限尊重しなければならないと思うとともに,やはり混乱の拡大を引き起こしてはならないと考えたからです。 それに,代表がルール破りをしては,自分の主張のために不正な方法で高額取引をやった人たちなどと同じになり,ルールの遵守という大原則を自ら破壊してしまう,と自制したからです。

私が,摂津さんを許せないのは,彼の人格ではありません。彼の人格を攻撃したことは一度もありません。そうではなく,彼が私への憎悪をぶちまけている文章において,柄谷氏や柳原氏の,こうした人格否定的なレッテルを何の反省もなく使っているにもかかわらず,そのことにまったく無自覚で,しかも自分の評価や怒りが公正であると思いこんでいるからです。それだけなら,まだ我慢もできたでしょう。だが,私が彼の精神状況も考慮しなければと思い,事態の悪化をさせないために静観していたのに,彼は,無関係なMLでも誹謗中傷を繰り返す,私的なメールをさらすなど,まったく不正としかいえない攻撃をエスカレートさせてきました。いくら,彼のQにおける過去の功績を認め,彼の精神状況を鑑みても,これはどうしようもなく不快だし,このような攻撃には当然防衛する権利があるはずです。とにかく,私は彼の人格と現実の行為を分けているのに,柄谷氏,柳原氏と同様,彼も常に両者を一緒くたにしている。すでに述べましたが,私は,オフ会以降もこっちから攻撃を仕掛けたことは一 度もないのであって,すべてQの防衛に回っていただけです。

しかし,私はこれらの元凶が柄谷氏の言動にあると理解しているので,正直言って,摂津氏を一方的に攻めるという気にもなれません。事実,今回のことがあるまで,私は辞めていったNAM会員,特に**氏や摂津氏には憎悪のようなものを抱いたことは ないし,今でもそういう気持ちではありません。むしろ同情すらしていたんです。

ただし,こうした彼に対する気持ちと今回の行為についての判断はまったく別物です。彼の行為による被害は,すでに私だけではなく,穂積氏や宮地氏,あるいは高山氏,そして現在のQハイブやQにまで及んでいるというのに,摂津氏の「心情がよくわかる」からと,彼の今回の言動までも許してしまう**さんの態度は,情状を優先しすぎて,行為の責任を問うという姿勢に欠けるのではないですか。私が求めているのは,単に議論に勝つことではありません。だれもが違う考え,違う心情を持つのは当たり前だということ,だけど,少なくとも相手の意見を聞こう,心情を知ろうとはしてほしいということにつきます。自分の意見や心情を絶対的なものであると思い,相手を攻撃することをやめて欲しいということです。これは,摂津氏にも,**さんにも言いたいことです。

しかし,私はこれまで,こうしたことは決して口にしてきませんでした。言ったからといって,簡単にわかりあえるものではないし,それが,Qハイブの運営に資するとも思えなかったから。その背後には,**さんたちの実働の努力を高く評価し,敬意を払いたいという気持ちがありました。正直に言えば,**さんが開発部でそんなに大変なのか,その実態は私には分かりませんでしたが,ただ,苦労しておられるのは,今までの私の経験上,わかりました。だから,上のようなことはいわずに,組織は個人の意見や心情はいろいろであるにしても,原則を保持してやってほしいというようなことを遠慮しながらお話ししたつもりだし,できるだけ**さんたちを手伝おうという気持ちで接したつもりでした。そのことがうまく伝わらなかったのは,とても残念です。

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攝津氏が私に対して批判があるなら,初めから最低限の公正な手続きに基づいてやってくれれば,私だって彼と対話や話し合いをしたでしょう。私は彼の一方的な妄想にまで責任はとれません。しかし,それが妄想だったとしても,彼がまともに話をしようという態度だったら,彼の思いこみを解こうと努力しただろうと思います。仮にその話し合いで口論になって,意見の折り合いがつかなくても,ケンカになっても仕方のないことでしょう。だが,それでも,まず先に話し合いの場があるということが必要なのです。

しかし,実際はまったく違います。一方的に自分の主張を書いたものを一部の人だけ実名にして送りつけて公開を了承しろと言い,それは一方的だと拒否すれば,今度はMLや掲示板に一方的に載せる。そして,こうしたやり方をどんどんエスカレートして私信を勝手に公開して,非難する。さらに,今回問題にしている,windsへの不正ログイン,メアドの詐取,Qユーザーへの一斉同報による迷惑・妨害メール(「ユーザーも共犯だから,退会しろ」など)です。

彼は話し合うという姿勢を見せるどころか,初めからケンカを仕掛けてきているのです。初めから攻撃してきて,こちらが黙っていれば,それをエスカレートさせている。話し合いの場を最初にぶちこわすのは,いつも柄谷氏,柳原氏,攝津氏のような人々です。それに対して,**さんは,なお話し合えというのですか。

以上の事実を知ってなお「ほっておいて済む」と言い,「最低限の手続きの遵守」を「形式論」とみなし,「結局お二人で話し合われるほかはない」と結論づける,**さんの公正感覚は,どうやら私のそれとはまったく違うようです。

手続きはもちろん「形式」でありルールです。それを互いに守らない場合には,対話は成立しない。それを形式主義だと言ってすべてぶちこわしておいて,自分の正義を一方的に相手に押しつけようとする,そのためには攻撃も暴力も辞さないというのが,攝津氏の今の態度です。まったく暴力的な態度と言っていい。しかし,始末の悪いことに,自分の主張や行動は公正であり,大義であると勘違いしている。

こういう人々は意見や感情の対立をあくまで言論によって解決しようとするのではなく,すぐに暴力で解消しようとする人々です。彼らの言葉はすべて相手を攻撃することを目的とするレッテルにすぎないのです。自由主義をまったく理解していません。自分では「非暴力主義」だと,口でいくらきれい事を言っても,やっていることは,左翼暴力主義,内ゲバの論理に逆戻りしています。

そして,このことが重要ですが,この態度ややり方はほとんど柄谷氏のそれらを無意識的に踏襲するものなのです。攝津氏のNAMへのML公開要求におけるやり方は,ほぼ公正なものです。他方,私やQに対するやり方はそうではありません。こういう違いが生じる秘密がここにあります。端的に言えば,彼は,「柄谷行人」という固有名への幻想だけはいまだに脳裏から払拭できていないのです。今も「柄谷行人」に精神的に依存している,柄谷氏の掌の上で踊らされているのに,そのことをまったく自覚できていません。だから,柄谷氏だけは攻撃できずに,「彼に言っても無駄だ,どうしようもない」などと,情けなく諦めているんです。彼こそ,柄谷氏に上手く利用され続けているのです。それは事実としてはっきりと現れています。私の怒りはここから生じてきますが,それは攝津氏ではなく,その元凶である柄谷氏に向けられています。

向こうが暴力や攻撃を仕掛けてくれば,それに対して一定の防衛行動を取らざるをえません。その時に,こちらの防衛行動もある種の暴力性を帯びざるをえません。国家のような権力による調停はそういう意味で否定できないということを私は認めます。ただそれをどう変えていくか(揚棄するか)が問題です。そして,これはQでも一貫して取られてきた(いや,取られるべきであった)考え方だと私は思っています。

昨年のQオフ会以来,あるいはその前でも,私は,こういう人々の暴言,誹謗中傷,不正なシステム・アタック等の攻撃に対して,一定の防衛をしているだけであり,こちらから攻撃をしたことは一度もありません。今回もそうです。

 

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